ポップステージ

21歳女子大生、2018年4月15日世界一周に出ました。目新しいものに出会い続ける毎日の中で、感じること考えることが沢山ある。そんな私の「オモイ」がたくさんつまったブログ。

「ボランティア」しても役には立てない。一時的な助けには何の意味もない。

正確に言えば

一時的なボランティアをするだけでは意味がなく

そこからどうアクションしていくかが重要

という意味です。 

 

 

私は海外ボランティアにもともと興味がありました。

なのでカンボジアではボランティアとインターンを3箇所でしました。

 

 

カンボジアのハンドメイドにこだわり、村の女性たちの雇用を生み出しているveryberryさんと

障害をもつ女性たちに対して職業訓練を行い社会的自立を促すcha japanさんと

プレイクラン村の小学校です。

 

 

ボランティアをすれば

誰かの笑顔になれる

誰かのためになれる

と思っていました。

 

 


けれど、襲ってきたのは罪悪感

ここで自分の人生をかけて働いている人たちに対し、

私は軽い気持ちで

「何か役に立とう」

と考えていたことに対して強烈な罪の意識に苛まれました。

 

 

 


彼女たちを馬鹿にしているんじゃないか、と。

 

 

だって、20数年しか生きていない、知識も全然ないような小娘が

「力になりたい」

くらいでどうにか出来るものなわけがないんです。

 

ただただ失礼なことをしていると感じました。


刹那的な助けになることが、

彼ら彼女らにとってどんな意味をなすのか分からなくなりました。

結局、特筆すべき能力もない私がここで出来る事なんてごくわずかでした。

 

 

 

だから、私は思います。
「誰かのためになりたい」
「誰かに笑顔になってもらいたい」
と思うならば、

 

その手段を決め、その能力を特化させること

が重要なのだと。


なんの能力もなければ、誰だって出来る作業しかできません。

 

事実、

「ボランティアしたい!」

という日本人の受け入れを

拒否するカンボジアの孤児院や学校はいくらでもあります。

 

ボランティアでさえも拒否されます。

だって、受け入れる側からしたら必要ないから

仕事のノウハウを分かっていない人たちに一から内容を教えて数日間働かせることは

面倒で厄介なんです。

 


けれど

「自分にはこれが出来る」という

”特技” ”専門” ”能力”があれば、

多少の変化を要したとしても

何かしらの形できっと誰かを幸せにする手段になると思うのです。

 

手段や能力を持ち合わせていないのに

「誰かを笑顔にしたい」

と思っている自分の甘さに気づきました。

 

 


だからこそ、私は手段を決めて、その手段を特化させていこうと思います。

 

 

私はその手段としてエンターテイメントを選びました。

 

「好きなことをとことん突き詰めれば、やがてその極めたものが誰かを幸せにする手段になる」

この言葉を聞いた時

私の中で突き詰めるものはこの分野にしたいって思っていました。

 

 

これからは、エンターテイメントにフォーカスして学び

考えていくつもりです。

 

 

私の夢は「エンターテイメントで世界を幸せにすること」だから。